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yosh-ash’s Space

言葉・音楽・好奇心

「レトリック感覚」佐藤信夫 と レトリックの本 (別冊宝島)

佐藤信夫さんの「レトリック感覚」。講談社学術文庫って、好きな文庫のひとつなんだよね。「レトリック認識」と「レトリックの記号論」も、そうだ。ちょっとばかりお値段が高いけど。同時期に別冊宝島「レトリックの本」も読んだ。こちらのほうが内容は幅広く、軽い。復刊してほしい1冊だな。

 

res-c.blog.jp

の補足みたいなもの

サブカルが、サブカルチャーだった頃の初期「別冊宝島

講談社学術文庫は名前の通り、学術系が多い。新書(ひとくくりにするのは乱暴だけど)より敷居が高く見える。それでも、専門書よりは、はるかに読みやすい。初期の別冊宝島は斜めの視点から攻めていたように感じる。だから、めちゃくちゃ刺激的だった。

 

 

芋づる式に「知」の欲を満たしていく悪い癖

入門書は、いつの時代であっても重要な役割があると思っている。「知」への入口として、はじめの第一歩は大切だもん。どのようなジャンルでも専門用語という壁がある。それを理解しないと次には進めない。まずは、専門用語って4文字の漢字が壁なんだよね。壁を軽やかにジャンプするため、入門書がある。

その点、初期の「別冊宝島」は多くの人へ影響を与えたんじゃないかな?と思う。

 

 

レトリックから心理学・言語学へ「知」の欲が伸びていく

文章を読むのは人間だ。人間には脳がある。脳で思考する動物。なので、レトリックは心理学への架け橋になった。フロイトユングも読んだよ。フロイトは、あまり面白いと感じなかった。原語でなんて読めるはずもないので、堅苦しい翻訳のせいもある。

「レトリックの記号論」で言語学を知った。当然、ソシュールも読んだ。理解できねぇー。いつも、こんな感じの読み方だった。少し背伸びをして、本を読む。自分の理解できる範囲の本だけでは刺激に欠けるもんね。何度も読み返しているうちに分かるかも?と思いながら読んでいる。未だに、言語学は理解を超えているけど。

 

 

取扱説明書を読まないのは自分で模索するのが好きだから

誰かに教えてもらうほうが早い。手っ取り早い。でも、ほとんどが自己流なんだよね。分からない言葉や思考の組み立てにぶつかったら、そのときに調べる。調べても分からなかったら、読むのをやめる。しばらくしてから、別の本で得た「知」を元に読み始める。それで少しでも理解できればOK。

時間のかかるやり方だと理解しているよ。教えてもらうのは嫌いじゃない。それよりも自分で分解したりする方が好きなんだろうな、と思う。おそらく、この性格?は一生、続く。治らない。

 

 

yosh.ash

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